ポー「黒猫/モルグ街の殺人事件」

黒猫/モルグ街の殺人事件 (岩波文庫 赤 306-1)

黒猫/モルグ街の殺人事件 (岩波文庫 赤 306-1)


 本書は、表題作の『黒猫』『モルグ街の殺人事件』を含め、全部で7つの短編小説を収めたエドガー・アラン・ポーの作品集。7つの作品は、1839年から1845年のあいだに発表されている。


 本書の先頭に置かれた『黒猫』が、私には最も好ましかった。
 主人公の男は、子どもの頃から情け深く柔順な性格で、動物をたいへんかわいがっていた。「心のやさしさは、よく友達から、格好の笑いものにされたくらいであった」という一文が、私の心をとらえた。友達に笑いものにされるほどのやさしさとはどんなだろう? と想像をかきたてられ、この主人公に感情移入したくなったのだ。
 ところが、せっかく感情移入したこの主人公は、やさしい女性と結婚して数年後に「飲酒という悪魔」のため性格が豹変。動物に虐待を加える人間になりはて、かわいがっていたペットの黒猫を猟奇的な方法で殺害してしまう。それだけにとどまらず、彼の異常心理、異常行動はさらに深みへと進んでいくのだった。 
 やさしすぎる人間の心が崩壊し、加虐的な異常行動へ駆り立てられていく様が物悲しく、そして怖い。


『モルグ街の殺人事件』『マリ・ロジェエの迷宮事件』『盗まれた手紙』は、名探偵オーギュスト・デュパンが活躍する3部作だ。これらの作品は、現在も高い人気を誇る「ミステリー」というジャンルの始祖と言われている。中でも一番初めに発表された『モルグ街の殺人事件』は、異常な死体、密室、緻密な推理、意外な犯人といった推理小説の魅力が、短い中にぎゅっと詰まっている。
 3作とも、とくに、理知的で精緻な推理の過程を描くことに力点を置いている。