小林よしのり「ゴーマニズム宣言EXTRA 挑戦的平和論」下巻

挑戦的平和論―ゴーマニズム宣言EXTRA (下巻)

挑戦的平和論―ゴーマニズム宣言EXTRA (下巻)


小林よしのりの思想と私のそれは相当乖離しているが、「SPA」連載当時から『ゴーマニズム宣言』に付き合っている私は、小林の主張のどこかに同調できるものを感じ取っているのだろうか。思想的に同調できるところは限定されるが、社会時評、思想表現マンガとして、反発をおぼえたり不快感を抱いたりすることも加味しつつ、おもしろく読めているというのが実際のところだろう。


 昨年末に発売された本書では、映画『プライベート・ライアン』を引き合いに出してアメリカの精神性を説くくだりが特に心に刻まれた。
プライベート・ライアン』は公開当時に劇場で観た。兄弟3人を戦争で失い今もなお戦地で戦う末の弟を非戦地へ連れ戻すため、複数の犠牲者を出しながらを任務を遂行する部隊の話だった。1人を助けるためにそれ以上の人命を失わせるその任務に、私は理不尽な感覚を覚えたものだ。
 そんな精神性について小林はこのように論じている。

「たった数人の同朋を救うために、数量的にはそれ以上の犠牲者を出す覚悟さえできている。」
「明らかに非合理な国家と国民との「恋愛」が、アメリカという国には成立しているのだと、それらの映画は国内外に宣伝していた。」
「これは軍隊のみの規律ではない。囚われの身となった民間人ならなおさら同朋の救出に犠牲も厭わぬ国家の構えなくしては、共同体の信頼性が崩壊してしまう。」
「そこには国家の名誉、威信、尊厳、共同体の信頼といった「国民の生命と財産」を超える価値が提示されている」

 こういう精神性をアメリカ人が本当に持っているのか、映画のような任務が現実に行なわれているのかは判然としないが、小林が説くように、少なくともそういう国家の神話が存在しているということならば、『プライベート・ライアン』で描かれた精神性は、アメリカという国家にしてみれば特殊なものではないということになる。
 そういう背景が分かったところで、私が覚えた理不尽な感覚を拭い去れるものではないが、『プライベート・ライアン』でのあの任務が、アメリカらしい精神を表現し宣伝したものであった、という認識に至れただけでも膝を打ちたくなった。




「第11章 占守島の戦い」は読み応えがあった。
 千島列島の最北端にある占守島(シュムシュ島)に、日本の敗戦日である8月15日を過ぎてから、いきなりソ連軍の攻撃があったという。そこでソ連軍と戦った勇敢な部隊の話が本作では描かれている。
 日本の敗戦が決まったあと、火事場泥棒的に占守島へ侵攻したソ連が、結局千島列島を占領してしまった経緯を知れば、国後、択捉、歯舞、色丹の北方四島だけでなく、千島列島全体を日本に返還すべきだとの考えが正しいような気がしてくる。
 小林は、終戦後に突発的に起こった占守島での戦いで散った兵士を「犬死ではないか」「ばかなことをしたもんだ」などと冷ややかに揶揄する声を批判しており、私もそれには共感した。日本国を守るため命を賭けて勇敢に戦ってくれた先人に、真摯に感謝の気持ちを捧げたっていいではないか、と。
 ただし、私は反戦平和的な志向の持ち主であり、戦争をことさらに美化したくはないし、現実に戦争に巻き込まれるのは御免である。そしてまた私は、小林が批判する〝価値相対主義者〟の1人といえ、国家とか公のために〝私〟を殺したくない人間であり、父権的社会に違和感をおぼえる者なので、右傾化してからこのかたの『ゴーマニズム宣言』を読んでいると、小林にこんこんとお説教されているような気分になる。でも、小林のような物の見方もあるのだな、という意味では興味深いし、読み物としてほどほどにおもしろいので、これからも読み続けていきたいと思っている。まあ、こういう態度こそ、小林が忌み嫌う価値相対主義なんだろうけど…