手塚治虫「大暴走」

 この文庫には、表題作の『大暴走』のほか、『ボンバ!』『虎人境』『黄色魔境』の計4編が収録されている。巻末の解説で作家の鈴木輝一郎が、「(作家としての観点からストーリーを検討した結果)『大暴走』『虎人境』『黄色魔境』のいずれもが失敗している」と書いている。まあ、手塚治虫の膨大な作品群のなかにあっては、これらの作品は精彩を欠いている側に入るのだろうが、私はそれなりに楽しめた。


『虎人境』『黄色魔境』は、初出時に添えられた〝人外魔境シリーズ〟という冠にふさわしい内容で、B級探検パニック映画のテイストを堪能できる。かつてテレビ朝日の「水曜スペシャル」枠で放映されていた川口浩の探検隊シリーズのキワモノ感すら感じられ、惹きつけられた。


『ボンバ!』は、ほかの3作以上に、私に強い印象を与えた。主人公の少年・男谷が憎んだ相手を、妖怪とも幽霊とも幻影ともつかぬ凶暴な馬・ボンバが殺してまわるというのがこの話の大筋だが、男谷の憎しみが他人ではなく男谷自身に向かえば、ボンバは男谷を殺しにやってくる、というくだりを読んで、同じ手塚作品の『鉄の旋律』(「増刊ヤングコミック」1974年6月25日号〜1975年1月7日号)を思い出した。
『鉄の旋律』は、両腕を失った青年・壇が、念力によって義手を自由に動かせるようになり、自分の腕を奪ったアメリカマフィア一家に復讐しようとする物語だ。壇の義手は、彼が眠っているあいだに、彼の潜在的な復讐心が働くことで勝手に動き出し、殺人を実行していく。そして、壇の憎しみが壇本人に向かったとき、男谷に対するボンバがそうであったように、壇の義手は壇自身に襲いかかってくるのである。
 自分の代わりに復讐を成し遂げてくれる超常的存在が、憎しみの感情が向かう先によっては、自分自身にすら襲撃を加えてくるという諸刃の剣的な状況を、少年向けの『ボンバ!』と、青年向けの『鉄の旋律』の両作で読むことができるわけである。
 憎しみという感情は、それが増長してコントロールを失えば、他者ばかりか自分までもを破壊する危険な精神作用であるのだと手塚は考えていたのかもしれない。