シャミッソー「影をなくした男」

影をなくした男 (岩波文庫)

影をなくした男 (岩波文庫)


 影をなくしたかわりに巨万の富を得た主人公・シュレミールの物語が、メルヘン調で綴られている。


 シュレミールは、ある場所で長身痩躯の年をとった男と出会う。その男は、シュレミールの影がほしいと持ちかてきた。シュレミールは、その男に影を与えるかわりにどれだけでも金貨が出てくる〝幸運の袋〟を手に入れた。この取引によって、シュレミールは大金持ちになるが、影がないということは人間社会で生きていくには想像外に大きなハンディキャップだった。影がないというだけでさんざん差別され、人間扱いされないのだ。現代日本に暮らす私の感覚からすると、影を持たない人がいればそれは奇異な存在に違いないが、さほど差別の対象になるとは思えない。ところが本作の世界では、影がないと知れるだけで、誰もが皆シュレミールを忌避し軽蔑し非人間的なまなざしを向けるのだ。その世界では、どれだけお金を持っていても、影のない人間は日陰者に落ちざるをえないのだった。作者のシャミッソーが本作を書いた当時、ドイツでは影絵が流行っていたそうで、その影響もあって影というものが人々の間で重要視されていたのだろうか。


 一年後に再びシュレミールの前に姿を現した長身痩躯の男は、またシュレミールに取引をもちかけてきた。シュレミールへ影を返すかわりに、シュレミールの肉体から魂が離れたときその魂をもらいたい、という取引内容だった。シュレミールはこの話を断るが、この取引については、ゲーテの『ファウスト』を彷彿とさせる。


 影をとりもどすことやめ、金貨の出てくる幸運の袋も放棄したシュレミールは、残ったお金で古靴を買う。その靴が、一歩あるけば七里を行くという魔法の靴(七里靴)だと知った彼は、世界中を股にかけて旅行をし、動植物の研究に勤しむようになる。自分の役割を得たシュレミールは、自分の影と幸運の袋をあきらめたかわりに、七里靴によって幸福な状況を獲得していったのだ。


 こうしたシュレミールの生きざまは、本作の作者・シャミッソーの生涯を知ると、重なり合うものを感じる。シャミッソーは、シュレミールに自己を投影していたのだろうか。



 シュレミールの影がほしいと言った男は、自分が着ている、灰色がかった燕尾服のポケットからなんでもかんでも取り出す。望遠鏡、トルコ絨毯、テント一式、三頭の馬など、とてもポケットに入るはずのない大きなものから、幸運の金袋のような、現実にはありえない不思議なものまで、ひょいと取り出すのだ。男の話によれば、このポケットの中には、どんな錠前でも即座にあけられる魔法の鍵や、あらゆる望みをかなえてくれる魔法草、たえず持主にもどってくる不思議な金貨、ひろげるだけで食べたい料理が手に入るナプキン、望みの品を即座に打ちだす小槌、魔法の頭巾なども入っているという。こうした要素は、四次元ポケットから不思議なひみつ道具を取り出す日本の国民的マンガ『ドラえもん』を思い出させる。