呉智英「犬儒派だもの」

犬儒派だもの (双葉文庫)

犬儒派だもの (双葉文庫)


 双葉文庫に収録された呉智英の著作は、これで10冊目となった。「犬儒派だもの」は、著者が新聞や雑誌に書いた小文を集めたものだ。書名に使われた「犬儒派」とは、プラトンと同時代に生きた哲人・ディオゲネスとそれに連なる哲人たちを総称する言葉。ソクラテスの弟子・プラトンは、奇行と皮肉にみちたディオゲネスを「狂ったソクラテス」と呼んだ。ディオゲネスは、大哲学者のプラトンや大帝国建設を企てたアレキサンダーを嘲笑し皮肉りながらも、プラトンアレキサンダーに一目置かれていたという。
 本書の著者・呉智英は、そんなディオゲネス的視点、犬儒派的立場で、この世にはびこる問題を論じ続けている。真正面から論じるだけでなく、時には裏側から皮肉っぽく、時には軽口を叩くようにユーモラスに、この社会で正義とされる人権や平等、民主主義などに疑問を投じている。



 私は、どちらかといえば戦後民主主義者の傾向が強いだろうし、人権や平等に価値を置く側に立っているが、これは呉に言わせれば、戦後教育のマインド・コントロールの成果ということになる。そう言われても、民主主義や人権、平等にとってかわるべきだと思える価値が今のところない以上、私は戦後民主主義者であり続けるにちがいない。ただ、民主主義が手放しで称讃すべき価値原理・社会制度でないことは、呉の文章から説得力をもって伝わってくるし、人権なるものの怪しげな側面も理解できる。民主主義の源流ともいえるフランス革命、そのとき民主主義軍が行なった「ヴァンデの虐殺」では、老人や子どもを含め30万人が殺戮されたという。いま我々が正義だと信奉する民主主義も、その誕生の裏で多数の無辜の民を犠牲にしていたのだという事実は心にとめておきたい。



 呉は、民主主義にとってかわるべきは封建主義であると、一貫して主張しており、呉の著作を立て続けに読んでいると、思想としての封建主義は、民主主義より優れている面もあると思えるが、だからといって民主主義以上にすばらしいものとも、今のところ感じられない。