小谷野敦「退屈論」

退屈論 (シリーズ生きる思想)

退屈論 (シリーズ生きる思想)

「退屈」について、文学、哲学、文化人類学、サル学など多数の文献をひもときながら徹底的に考察した一冊。「退屈」が、ヒトにとっていかに逃れられない重大問題であるかが深く強く了解できる。
 退屈への対処として、人はさまざまな「退屈しのぎ」を発明し実践してきた。本書は、その「退屈しのぎ」に関して幾多の視点から論じているが、私が心を惹かれたのは、第五章「「関心がある」とはどういうことか」である。

 
 著者は言う。脳が発達し他の動物には見られぬ知的な活動が可能になったヒトは、その代償として「退屈」をおぼえるようになった。とすれば、その知的能力をもって退屈を紛らわす方法も考えられるはずであり、それがさまざなな「遊び」となって顕現した。ハイデッガーは、ヒトとは「世界・内・存在」と言ったが、その「世界」、とりわけ自分を取り巻く「世界」を分節(アーティキュレイト)し整理するというのが、ヒトが大脳を使って考え出した最も高度な退屈しのぎの方法なのである、と。
 ならば、オタク的な趣味を持つ私が、愛好する対象を収集したり分類したり考察したりする行為というのは、まさに自分を取り巻く世界を分節する遊びであり、それは大脳化した動物であるヒトが編み出した最も高度な退屈しのぎであるといえるだろう。


 著者は、結論部でカール・ポパーの言葉を引用し、それに賛意を示している。理想的かつ抽象的な原理でもって社会を総括したり改革したりする考えに危惧を抱き、合わせて、現状を肯定的にとらえ現実を追認する考えにも憂慮をおぼえ、現実に自分の周囲にある具体的な問題をこつこつ解決していくことこそが肝要だと説く。そんな著者のバランス感覚に私は共感する。