大江健三郎「個人的な体験」

個人的な体験 (新潮文庫)

個人的な体験 (新潮文庫)

 実存主義で有名なサルトルが著した『嘔吐』の主人公ロカンタンは、公園でマロニエの木の根っこを見て、忽然と剥き出しの実存を感じ、息の根を止められたような気持ちになって、嘔吐感をもよおした。彼は、「マロニエの木の根っこ」と名づけられ意味づけられた事物を目撃したとき、そこから言葉も意味もはぎとられ、恐ろしい淫らな裸形をさらした剥き出しのままの塊、すなわち「実存」をありありと感じとって、吐き気にみまわれたわけである。



 嘔吐とは、胃あるいは胃に近い小腸の内容物が口から吐き出されることで、脳幹尾部にある嘔吐中枢が刺激されて引き起こされる現象である。
 私にとって、嘔吐シーンがとくに印象的だった小説といえば、大江健三郎の『個人的な体験』だ。大江は、サルトルの影響を受けた作家といわれるが、サルトルノーベル文学賞の受賞を拒否したのにたいし、大江はノーベル賞をちゃんと受け取っている。
『個人的な体験』は、大江自身の絶望と苦渋に満ちた体験の影響下にある小説で、作品全体にわたってそうした暗澹たるムードが漂っている。主人公の男性は予備校の教員だったが、ある日教室で百人の生徒たちを前に嘔吐してしまい、それが原因で職を失うことになる。「嘔吐する猫さながら、首をまっすぐにして吐いた。内臓をよじられ搾りあげられるので、巨大な仁王の足に踏みしだかれて、むなしくじたばたする小っぽけな鬼みたいな様子でもあった。」などと続く嘔吐シーンそのもののねちっこい描写がまず濃厚に心に焼きつくし、そのときの嘔吐がのちに及ぼす影響の書かれ方もべったりと印象に刻まれる。