冨田勲さんご逝去


 作曲家・シンセサイザー奏者の冨田勲さんが、5日午後2時51分、慢性心不全のため東京都渋谷区の病院で逝去されました。84歳でした。


 冨田さんは手塚先生にゆかりの深い人物です。『ジャングル大帝』『リボンの騎士』『どろろ』といったテレビアニメ、『千夜一夜物語』『クレオパトラ』『ブラック・ジャック ふたりの黒い医者』といった劇場版アニメ、手塚治虫記念館のために作られた『オサムとムサシ』などなど、多くの手塚アニメで音楽を手掛けておいでです。
 
 
 私は、哀悼の意を込めて『展覧会の絵』のビデオを観返しました。
 そして、2014年5月30日宝塚で開催された冨田勲さんと手塚るみ子さんのトークイベントに参加した日のことを思い出しました。ここで、そのイベントを少し振り返ってみようと思います。
 

 イベントの正式名称は「冨田勲の音楽宇宙〜ジャングル大帝から初音ミクまで〜」でした。
 
 
 会場の宝塚文化創造館は、かつて宝塚音楽学校本校舎として使用された由緒ある施設です。
 

 
 
 トークと音楽と映像で構成された、ぜいたくなイベントでした。
 

 冨田さんが手掛けられた手塚関連のお仕事のなかでも、代表作といえるのが『ジャングル大帝』のテーマ曲でしょう。手塚先生は、冨田さんが作ってきた曲に対し「イントロを変えてほしい」と要求してきたのだとか。しかし冨田さんは変えようとせず、放送日が接近してきたので最終的に手塚先生のほうが折れた格好に。冨田さんは今でも、変えなくて良かった、と思っているそうです。


 ほかに、冨田さんのこんな話が印象に残りました。
●手塚作品が描いてきた“手塚イズム”。これを音で表現したかった。
●手塚さんが私の前でピアノを披露したことがある。(るみ子さん:音楽家の前での演奏だから、父は舞い上がっていたのではないか…)
●手塚さんは伝えたいことがあると時間かまわず電話してきた。あるときは、電話の向こうから原稿を描く音が聴こえてきた。電話をしながらマンガも描いていたのだ。
●『展覧会の絵』は本当に急な話だったので、急いで作らなければならなかった。あと1年待ってくれたらよかったのに…。その頃にはシンセサイザーを始めていたので、もっと納得のできるものを作れたはず。
●手塚さんとの仕事はほんとうにしんどかったけれど、あの幸せな感覚はなんだろう、というくらい幸せだった。手塚さんに巻き込まれた人が多くいると思うが、私もその一人。


 冨田さんの曲をサラウンドで聴けるというサプライズもありました。
 最後には、手塚先生の実験アニメ『展覧会の絵』を上映しました。私はビデオで観たことがあるだけだったので、大きなスクリーンで鑑賞できて感激でした。

 
 
 
 イベント終了後、手塚治虫記念館の入口近辺で冨田さんのお姿を撮影させていただきました。後方に写っているのは手塚るみ子さんです。


 このイベントのことを思い出すと、冨田さんが亡くなったことがますます寂しくなってきますが、ともあれ、この日はとても楽しく貴重な一日として今も心に刻まれています。
  

 冨田勲さんのご冥福を心よりお祈りいたします。