三島由紀夫と手塚治虫


 友人がこんなことを言いました。
「手塚先生は『気になる同時代人は誰か?』との質問に『三島由紀夫』と回答してるんですよ。なぜ、三島と答えたのか、『ばるぼら』辺りにヒントが潜んでいる気がします」

 たしかに、『ばるぼら』の主人公・美倉洋介は耽美主義の作家・異常性欲の持ち主で、少なくない人が三島をモデルにしていると指摘しています。
 手塚先生は三島を一生のライバルと意識し、考え方はまるで違うが三島作品を読むとなんとなく性格が似ているように感じていた、との証言があります(『思い出の手塚治虫先生』「少年マガジン」1989年3月15日号)。
 そんな手塚先生の思いを知ってか知らずか、三島は自殺した年にこんな評論を発表しています。

「劇画や漫画の作者がどんな思想を持とうと自由であるが、啓蒙家​や教育者や図式的諷刺家になったら、その時点でもうおしまいであ​る。かつて颯爽とした『鉄腕アトム』を創造した手塚治虫も、『火​の鳥』では日教組の御用漫画家になり果て」(「サンデー毎日」1970年2月1日号)

 そうした三島による批判を、手塚先生が知らなかったわけはないでしょう。『ばるぼら』(1973〜74年)を執筆するさい手塚先生は、その批判に対する何らかの特別な感情も込めていたのかもしれません。


 と、三島の話をしたところで思い出したのですが、藤子不二雄A先生から、三島由紀夫と言葉を交わしたことはないけれど、ある出版社の文学関係のパーティーに出席したさい三島がスピーチする姿を見た、とうかがったことがあります。

 
 あと、6月から公開される若松孝二監督の映画『11.25自決の日 三島由紀夫と若者たち』がちょっと気になります。
 http://www.wakamatsukoji.org/​11.25/story.html