『空気の底』


 手塚治虫先生の短編集『空気の底』を再読した。1968年から70年にかけて秋田書店の「プレイコミック」で発表された作品を集めたものだ。
 中学生のころ大都社のハードコミックスで読んでひどく衝撃を受けた。ハードなテーマ、救いのない結末、意外なオチ、ちょっとアブノーマルなエロティシズム、ショッキングな描写などにやられた。今読むと、手塚先生のテーマの料理の仕方、物語作りの巧みさにあらためて魅了される。
 凄みがあってキレがあってショッキングで読むたびに面白い。
 これらの短編群、手塚先生も気に入っておられたようだ。


『ジョーを訪ねた男』
 人種差別を扱っている。黒人の臓器が自分の体内に移植されたことで命を救われた白人の物語。潔癖なまでに黒人を見下していた彼は、その事実を知って絶望的な心情に。終盤になって、あきらめの感情もあってか少しばかり黒人への歩み寄りを示した彼だが、最後には黒人たちに殺される。その悲劇的な結末に、この問題の根深さをつきつけられる。


『野郎と断崖』
 非道な悪人のなかに良心が芽生えていくストーリー。妄想の出来事によってそうなっていく、というのが興味深い。巻き込まれて死んだ夫婦が気の毒…。


『うろこが崎』
 ある小島の奇妙な習俗と、マスメディアの狂騒と、公害問題とをホラー風味で味付けした一編。手塚先生が主人公。ラストの一コマがショッキングだ。


『夜の声』
 幾重もの人生の皮肉を描いている。やり手の青年社長の楽しみは、休日に乞食になることだった。乞食をやっている最中に出会った可憐な女性がいる。彼女は、乞食の彼に恋をするが、彼はその女性を自分の会社に就職させ、社長である自分との結婚を望む。彼女は、乞食と社長が同一人物であることを知らず、本当は乞食の彼を愛していたのだけれど、その思いは通らず社長と結婚することに。だがその結婚生活はすぐにうまくいかなくなり、彼女は乞食と暮らすため社長を殺害してしまう…。まさに皮肉な、あまりにも皮肉すぎる話である。
 青年社長に乞食という裏の顔があったように、女性にも前科者という裏の顔があった。そんなところも心に残った。


『そこに穴があった』
 巻き込まれ型の主人公。


『カメレオン』
 主人公は、それとは知らず壮大な復讐を仕掛けられていた。復讐された主人公のなれの果ての姿が、まるでカメレオンのようでグロテスクだ。


『猫の血』
 自分らは猫の血を引くと信じる民の暮らす村があった。村では猫を祀っていた。主人公は、その村から嫁をもらう。嫁は都市生活に不適応だった。ある日、東京に核ミサイルが落ちる。嫁は死んだはずだが、ラスト、嫁の分身(化身、生まれ変わり)のような猫が登場。焼けただれた姿がちょっとグロい。そして、そんな状態になっても夫を追ってくるけなげさに少し胸を打たれる。冒頭と結末が怪談風味だ。


『わが谷は未知なりき』
 ある一家が暮らす谷は、周囲から隔絶されていた。そこに外部の人間が入り込むことで、秩序が乱れる。彼らの住む谷には隠された真実があった…。子孫を残すための近親相姦が行なわれていたのだ。
“谷で生活する家族”という観点から、『火の鳥 黎明編』終盤のヒナクとグズリの家族のエピソードを思い出させる。また、この一家の秘密は『火の鳥 望郷編』で描かれるエピソードと共通性がある。
 ほかの人間がいなくなった世界において、一組の男女がアダムとイブのごとく子孫を残す運命を背負うところは、手塚先生の初期SF3部作の一つ『ロストワールド』とも構造が重なる。


『暗い窓の女』
 兄と妹の禁断の恋愛。


『カタストロフ・イン・ザ・ダーク』
 すべては死の淵で見た夢だった…。自分の将来の夢が、死の淵で見る夢のなかでかなえられる…という皮肉。しかも、自分を死の淵に追いやった出来事が、自分の夢のなかでは自分が犯した罪として経験されるという皮肉も。


『電話』
 見知らぬ女性からかかってくる謎の電話。待ち合わせ場所へ行ってみると、本人とは違う女がいた。
 主人公は最後に死んでしまうが、ハッピーエンドと言えなくもない終わり方である。幽霊譚の一種だ。


『ロバンナよ』
 手塚治虫が主人公。
 夫と妻とロバ、誰の気が狂っているのかわからなくなる…。


『ふたりは空気の底に』
 水槽の中に毒を入れられたグッピーは、そこから逃げることができず、死を待つしかない。人類がそのような状況に陥ったとき、残された男女が取った行動は…
 19××年、多発性核ミサイルの発射によって世界中に致死量のプルトニウムがばらまかれる。酸素、食糧、娯楽など生きていくうえで必要なものが供給されるユニット・カプセルがあって、そこに残された一組の男女がカプセルの中で成長していく。おそらく、地球に残された最後のカップルだろう。
 二人は、カプセル内の生活で十分に幸福だったが、あるとき外の世界を表現した映像に心惹かれ、外へ出てしまう…。プルトニウムに汚染された空気の底で、二人は愛し合いながら死んでいく。
 二人が見る映像の中にラブシーンがあり、これは写真の貼り付けで表現されている。
 ユニット・カプセルのある場所が大阪万博の会場の近く、というところも印象に残った。
 ここで描かれる核戦争後の光景は、『火の鳥 未来編』で山之辺マサトがひとり取り残される核戦争後の世界に似ている。


『処刑は3時に終わった』
 ユダヤ人迫害の罪で処刑されることになった男。銃殺刑を受ける間際になっても余裕を見せていた。なぜか? 時間延長剤を手に入れていたからである…。
 冒頭のユダヤ人女性たちへの無慈悲な仕打ちに、胸が苦しくなってくる。
 時間延長剤の効果で銃殺から脱出できると目論んでいた主人公だが、時間延長剤のことをよくわかっていなかった。そのため結局銃殺されてしまう。主人公目線では悲劇的な結末だが、その主人公が無慈悲な迫害者であるがゆえに、やはり彼は殺されるべきだったのだと得心がゆく。


『グランド・メサの決闘』
 西部劇。父親の敵と思っていた男が実は父親だった。本来憎むべきは父親を裏切った母親なのだ。


『聖女懐妊』
 女性型アンドロイドが妊娠して赤ちゃんを生む話。ロボットが人間と同じ情緒や身体を獲得するという点で『火の鳥 復活編』のロビタを彷彿とさせる。また、生命の円環(輪廻のような現象)が描かれるという点も『火の鳥』のようだ。



『空気の底』シリーズが描かれた時代の手塚マンガは、反道徳的だったりダークだったりグロテスクだったり暗欝だったりするものが目立つ。それは時代状況の反映といえるだろうし、手塚マンガが少年誌では時代遅れと言われていたこと、「ビッグコミック」などの青年誌が続々と創刊されたことなどとも関係しているのだろう。この時代の手塚マンガの中に、私が強い愛着をおぼえる作品が多い。この『空気の底』シリーズもそうだし、連載モノで言えば「ビッグコミック」で発表された作品群など、思春期に読んでトラウマ的な衝撃を受けたからこそディープな愛着をおぼえるのだ(笑)


『うろこが崎』や『ロバンナよ』は手塚先生が主人公だ。狂言回し的な立ち位置の主人公である。どちらの作品も、手塚先生の一人称によるナレーションから話が始まって、あたかも手塚先生の体験談であるかのように導入しているのが特徴的だ。手塚先生は、自作に自身の似顔キャラを登場させることが多かった。それも、エキストラやチョイ役ばかりじゃなく、重要なキャラをつとめることもしばしば。そうした作品のなかでは『バンパイヤ』が個人的に印象深い。



 ※【参考】
 『空気の底』シリーズの初出順は、以下のとおり。掲載誌はすべて「プレイコミック」です。

1『ジョーを訪ねた男』1968年9月25日号
2『夜の声』1968年10月25日号
3『野郎と断崖』1968年11月25日号
4『グランドメサの決闘』1969年3月10日号
5『うろこが崎』1969年6月10日号
6『暗い窓の女』1969年7月10日号
7『そこに穴があった』1969年8月10日号
8『わが谷は未知なりき』1969年9月10日号
9『猫の血』1969年10月10日号
10『電話』1969年10月10日号
11『カメレオン』1969年12月13日
12『カタストロフ・イン・ザ・ダーク』1970年2月14日号
13『ロバンナよ』1970年3月14日号
14『ふたりは空気の底に』1970年4月11日号

 また、ここでレビューした『処刑は3時におわった』『聖女懐妊』は、初出時に空気の底シリーズと銘打たれていなかったが、同じ時代に「プレイコミック」で発表された短編作品で、何バージョンもある『空気の底』というタイトルの単行本のいくつかにも収録されている。
 私は個人的に、これらの短編を準『空気の底』シリーズ作品と見なしている。

・『処刑は3時におわった』1968年6月号
・『聖女懐妊』1970年1月10日号