『新世界ルルー』


『タイガー博士の珍旅行』の次に「漫画と読物」で連載された手塚マンガである(1951年1月号〜52年2月号)。連載終了後、鶴書房から『消えた秘密境』なるタイトルで単行本が刊行されたことがある(1952年6月10日発行)。


 この作品、好きなんだよなあ。ほんとうに好き。とっても好き。大好き。
 アレクサンドル・デュマ・ペールの小説『モンテ・クリスト伯』を彷彿とさせる復讐譚、という側面があり、この世界と次元の異なる別の世界の存在を扱った異世界SFでもあり、ロックが漫画家の役をやっているのも興味深く、私の胸はときめくばかり。


モンテ・クリスト伯』的エピソードは、物語の前半で見られる。『モンテ・クリスト伯』の主人公“エドモン・ダンテス”に該当するキャラクターは、“ドン・ナ・モンデス”という名だ。エドモン・ダンテスの語感に日本語の「どんなもんです」を掛けたネーミングである。『モンテ・クリスト伯』の好きな私は、これだけニヤリとしてしまう。


 異世界SFの要素に着目すれば、この作品に登場する異世界“ルルー”は、こちらの世界とは別の物質でできていて、お互いの世界は目に見えないし何も感じないという。しかし、ある一箇所にだけ2つの世界を行き来できる抜け道がある。その抜け道を主人公のロックが通過していく描写に目を奪われる。空間のゆがみが見事に描かれているのだ。今まさに物質の異なる世界へ移動しているんだ、という気分を、われわれ読者にも味わわせてくれる。当時リアルタイムでこの描写を見た読者にどれほど大きな視覚的驚きを与えたことだろう、と思いを馳せたくなる。
 その抜け道を通って到着したルルーの景色にも目が釘付けだ。マグリットやダリといったシュルレアリスムの絵画を思わせる奇妙な風景が広がっている。シュルレアリスム絵画が好きな私には、たまらない風景なのだ。ゆがんだ抜け道を経て到達するのにふさわしい世界がそこにあった。
 


 ルルーの住人もまた魅力的だ。“ラータ”という少女のキュートなこと! 彼女の頭髪の部分がこんもりと盛り上がっていて、そこに小さな窓がついている。そのルックスも含めて、不思議な不思議な少女だが、でもとてもかわいい。
 ラータの頭髪部分に住んでいるのが“コッポポッコ”なる哲人だ。哲人が登場するというだけでも嬉しくなるが、このコッポポッコの外見と名前がユニークで、ますます私の精神は高揚する。



 漫画家ロックは、ルルーという異世界の存在を知るより前に、たまたま(少しヒントがあったけれど)ルルーの世界を的確に言い当てるようなマンガを描いてしまう。そのマンガのキャラクターがグッズ化されて“ルルー人形”が発売されるくだりがおもしろい。今でこそキャラクターがフィギュア化され商品として巷に流通するのは当たり前だが、そんな状況を1951年の段階で予言しているような描写である。手塚先生の『鉄腕アトム』がアニメ化されたことで、アトムのキャラクターグッズがいっぱい発売されたが、『新世界ルルー』はそれよりずいぶん前の作品である。
 手塚先生は未来を予言するかのようなマンガをいろいろと描いている、と言われるけれど、この「マンガのキャラクターがグッズ化されて大売れする」という描写は、私の心に強くヒットした。(マンガのキャラクターがグッズ化されることは手塚マンガ以前にもあったが、それが社会現象化するというのが私の注目ポイントだ)


 ルルーに暮らす人々は、時間を止めることができる。ルルーでは、そういう法則が働いているのだ。ルルーに行ってから元の世界へ戻ったロックの身には、時間を止める法則が残っていた。ロックはこちらの世界でも自在に時間を止めることができるようになったのである。その力を使って彼は活躍する。
『新世界ルルー』は、そんな時間SFでもあるわけだ。時間SFといえばタイムマシンものを思い浮かべがちだが、この作品は、時間を止めることで一つの出来事が瞬時に終わったり、人が瞬間的に移動したりしたように見せかける、時間のトリックの面白さがある。


 脚本家・作家の辻真先さんは、『新世界ルルー』の時間テーマに着目し、NHK在籍当時、時間テーマの子ども向けアクションドラマの企画を提出したことがあるという。なんとか企画を通すことができた辻さんが『新世界ルルー』を脚色してドラマ化するつもりで原作者の手塚先生に話を持ち込んだら、手塚先生は乗る気になって、新たに『ふしぎな少年』という作品を「少年クラブ」で連載し、同じ時期にテレビドラマ『ふしぎな少年』が放送されることになった。