『鉄腕アトム』「赤いネコの巻」


 「少年」1953年5月号〜11月号連載。
 以前当ブログで取り上げた「気体人間の巻」「フランケンシュタインの巻」もそうだったが、ページ数がさほど多くないわりに物語の密度が高い。それはテーマや構成の密度が高い、ということでもあるし、一コマ一コマが小さめで、なおかつコマのなかに描かれた人物や背景の絵が細かいこともあって、絵的に1ページあたりの密度が高い、ということでもある。


 この物語は、国木田独歩の小説『武蔵野』で始まって『武蔵野』で終わる。そんな始まりと終わりだから、もちろん物語の主舞台は東京の武蔵野である。(作中に小説『武蔵野』から引用したとおぼしきフレーズが出てくるが、正確な引用ではないようだ)
 武蔵野の自然を深すぎるほど愛している動物学者・Y教授は、その地が人間の手で開発されてしまうことを絶対に許せなかった。武蔵野の開発はしない、との約束を破られて怒ったY教授は、自分が死んだように見せかけながら、非常に周到な方法で、自然を壊す人間たちへ復讐を始める。
 今でこそエコロージー、自然保護というのは人口に膾炙した問題だし、それをテーマにした物語はたくさんあるが、この作品が発表されたのは1953年である。日本が高度経済成長期に入ろうという時分で、自然をどんどん開発することこそが正義のような空気のなかで、すでにこんなテーマに挑んでいたなんて、さすがは手塚先生だ。


フランケンシュタインの巻」が“人間とロボットの相克”をテーマにしていたとすれば、「赤いネコの巻」は“人間と自然の相克”がテーマである。どちらの話からも、そういう問題が起こるのは人間のエゴが根本的な原因であるが、そのエゴを放棄できないのもまた人間なのだ、という真実が伝わってくる。
 東京中の動物たちが大規模なデモを開始し、街を占拠する場面は圧巻だ。私は人間でありながら、自然を守ろうとするY教授に肩入れしてこの物語を読んでしまいがちで、だからおびただしい数の動物たちによるデモシーンにカタルシスすら感じる。


 動物たちがなぜデモを起こしたのか? Y教授が作成した超短波催眠装置によって催眠状態にされ、操られていたからである。アトムの活躍で催眠が解けた瞬間、デモに夢中だった動物たちは野生に戻って食い合いを始めてしまう。そのシーンは、デモ中の動物が人間を襲うシーンに負けぬほどショッキングだ。


 アトムの体が原爆と同じような状態になるくだりも鮮烈だった。アトムの体に触れた人間や動物は死んでしまうのだ。それが事件の解決手段となったのだが、これもまた私にはなかなか衝撃的な描写であった。


 アトムの頭部が体から外れる場面がある。四部垣の帽子をかぶったアトム。それを見た四部垣が「おれの帽子を返せっ」と帽子をつかみ取ると、アトムの頭も一緒に外れてしまうのだ。頭を持って行かれたアトムは、「ぼくの首も返せ」とやり返す。
 これは、ちょっとしたギャグ場面であるが、『アトム大使』ではもう少しシリアスな場面でアトムが自ら頭を外していた。平和の使者の役割を担ったアトムは、交渉相手に「誠意を見せろ」と言われ、頭を外して差し出すことで誠意を示したのだ。


「赤いネコの巻」のような“人間による自然破壊”“動物と人間の相克”を描いた手塚作品で私の心に刻まれているのは、『とんから谷物語』(1955〜56)である。いずれ、この作品についても語ってみたい。



【当ブログ、『鉄腕アトム』関連のエントリ】
 ●『アトム大使
 http://d.hatena.ne.jp/magasaino/20140410/p1
 ●『鉄腕アトム』「気体人間の巻」
 http://d.hatena.ne.jp/magasaino/20140411/p1
 ●『鉄腕アトム』「フランケンシュタインの巻」
 http://d.hatena.ne.jp/magasaino/20140412/p1