関西にて手塚マンガで描かれたスポットめぐり


 先日宝塚の手塚治虫記念館へ行ったさい、詳しい手塚ファンの方の案内や、自分一人のぶらぶらとした散策で、手塚マンガに登場するスポットをいくつかめぐりました。Nさん、解説ありがとうございました!


宝塚時代の手塚邸に生える大きなクスノキ【登場作品『新・聊斎志異 -女郎蜘蛛』】
 
 
 現在はまったく別の方の住居になっていて、建物も手塚家在住当時と違うのですが、大きなクスノキをはじめ何本かの庭の樹木は当時のままだそうです。
『新・聊斎志異 -女郎蜘蛛』の作中では、このクスノキを切り倒そうという話になるのですが、その話が出たとたん手塚家で奇妙なことばかり起こるようになり、結局切るのはやめになります。クスノキの精のような怪異が姿をあらわし、切らないでくれと請願するシーンが印象的です。
 この旧手塚邸のある“御殿山”という土地は、『アドルフに告ぐ』にも登場します。


蛇神社【登場作品『モンモン山が泣いてるよ』】
 
 
 宝塚の旧手塚邸から少し坂を登ったところにひっそりと鎮座する、小さな小さな神社です。以前昼間に訪れたことがありますが、今回は夜だったので、ちょっと不気味な風情(^^
『モンモン山が泣いてるよ』の作中では、境内に大きなポプラの木がはえていますが、実際はイショウの大木がそびえています。この境内で、主人公のシゲル(手塚先生の分身キャラ)は、蛇神社の白ヘビの化身と自己申告する男と出会います。
 蛇神社というのは正式な名称ではなく、手塚先生と弟さんが子どもの頃そう呼んでおられたのだそうです。


 蛇神社まで行ったのだから…ということで、その近隣の手塚先生ゆかりの地にも足を運びました。
 
 ・手塚先生が弟さんとともに「瓢箪池」と呼んでいた貯め池。虫捕りなどで遊んだ場所です。正式には「下ノ池」といいます。


 
 
 
 ・手塚兄弟が「猫神社」と呼んでいた場所。正式名称は「千吉稲荷神社」です。「手塚治虫昆虫採集の森」という記念碑が建っています。夜に行ったので真っ暗で、足もとがおぼつかなかったです(笑)



葛の葉稲荷【登場作品『悪右衛門』】
 
 正式名称は「信太森葛葉稲荷神社」。手塚先生の『悪右衛門』は、人形浄瑠璃や歌舞伎でも演じられた「葛の葉伝説」をモチーフにしており、葛の葉稲荷はその「葛の葉伝説」の伝わる神社です。大阪の和泉市にあります。境内に社殿がいくつかありますが、手塚先生が『悪右衛門』の最終ページで描いたのは写真の建物だと思います。


 
 ・『悪右衛門』にも出てくる「恋しくば尋ねきてみよ 和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」という歌が、葛の葉稲荷のすぐ横の車庫のシャッターに書かれていました。
『悪右衛門』のなかでこの歌を書いたのは、悪右衛門の妻“くずのは”に化けて悪右衛門と共に暮らしていた白狐“リズ”です。死んだはずの本物のくずのはが実は生きていて、悪右衛門の前に再び姿を現したため、リズはもう悪右衛門との暮らしは終わりだと観念してこの歌を書き、去っていったのです。
『悪右衛門』の下敷きとなった「葛の葉伝説」でも、この歌を書いたのは人間の女性に化けた白狐だったのですが、ちょっと登場人物たちの関係性が違っています。“安倍保名”という人間の男性に命を助けられた白狐が、人間の女性に化けて“葛の葉”と名乗り、傷を負った安倍保名を介抱しながら共に暮らし、いつしか恋仲となって子どもをもうけます。その子どもが5歳のとき、葛の葉は正体を見られてしまい、この歌を書き残して森へ去っていったのです。


 
 ・これも葛の葉稲荷の境内の風景です。この構図は、『悪右衛門』の劇中、大勢の狐たちが集まって話し合いをする場面で描かれています。


 
 ・『悪右衛門』の初出誌「別冊少年ジャンプ」1973年9月号



適塾【登場作品『陽だまりの樹』】
 
 
 
 緒方洪庵が開いた蘭学の私塾。大阪大学のルーツです。『陽だまりの樹』の主人公の1人、蘭方医の手塚良庵がここで学んでいます。『陽だまりの樹』での説明を借りれば、「塾生たちはタタミ一畳に一人という窮屈な大部屋に寝泊まりしながら自由気儘な、そして勤勉な学生生活を送っていたらしい」です。階段が急で、良庵が転げ落ちるシーンがあります。塾生たちがここで豚の頭の腑分け(解剖)を行ない、取り出した豚の脳をみそ煮にして良庵に食わせようとするシーンも心に残っています。
 手塚良庵は実在の人物で、手塚治虫先生の曽祖父にあたります。『陽だまりの樹』は、手塚先生がご自身の曽祖父をモデルにして描いたフィクションです。


 
 
 ・『陽だまりの樹』にもあるように、緒方洪庵適塾の近くに、天然痘予防のため牛痘種痘をおこなう「除痘館」を開設していました。現在の「緒方ビル」の壁にその除痘館跡の銘板がはめ込まれています。緒方ビルの4階には除痘館記念資料室もあります。今回は休館日である日曜に行ったので中に入れませんでしたが、外から銘板を撮影。『陽だまりの樹』を読むと、当時は「牛痘種痘をすると牛になる」と信じている人が多く、種痘してもらうのに苦労したようです。