呉智英「ホントの話」


 評論家の呉智英が、世の中を覆う俗論や妄説、イデオロギーの呪縛や還元論などを、あくまでも論理的に筋道が通る言葉で鋭く論駁する。真実を知ることが必ずしも心地よいと限らないし万人に届くものでもないと断りながら、思想の言葉で真実に切り込んでいる。雑誌「SAPIO」に随時連載した記事を一冊にまとめたもので、文体は談話調。


 封建主義者を名乗り、民主主義や人権、大衆を一貫して批判する呉の立ち位置が、本書でもはっきり読みとれる。私は、どちらかといえば、民主主義や人権や大衆を信じる側にいるが、呉の、感情や偏見を排した、論理的で博学な物言いには説得力を感じる。
 それでも呉の思想に同意できるかどうかは別の話。私も、民主主義や人権というものが手放しで素晴らしいものだとは思わないし、そういう言葉をふりかざしてそれ以外のものを排斥するイデオロギッシュな思考形態には反感をおぼえるが、民主主義や人権にとってかわる何かが世の主流になったところで、その何かもイデオロギー化し硬直してまうのだろうから、どうせ何らかのイデオロギーが世を支配的に覆うなら、民主主義や人権といったものであってくれたほうが無難な気がするのだ。


 本書で最も共鳴できたのは、第7講「日本のナショナリズムは世界に何を誇るべきか」の〝日本が世界に誇れる2つの文化〟である。呉が、日本が世界に誇れる文化として挙げたのは、「マンガ」と「漢字仮名まじり文」。マンガ好きの私だから、マンガが質・量ともに世界に誇れる文化だという意見にはすんなり同調できる。そして、文章を読んだり書いたりするなかで、漢字仮名まじり文の美点も以前から実感していたので、これについても呉の意見に賛成だ。




当ブログ10月27日のエントリで、中島義道『愛の試練』をとりあげたとき、この本で紹介された3種の愛について触れた。その3種の愛とは以下のものである。

1.自然(に見える)親子や夫婦や兄弟姉妹の愛であるフィリア

2.異性(あるいは同性)の性愛であるエロス

3.イエスが「自分自身を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」と言うときの無償の愛であるアガペー

『ホントの話』でも、この愛の種類に関する話が出てくるので、そのくだりを引用しよう。

英語では、「愛」はlove一語です。しかし、聖書の原本を記したギリシャ語の世界では、「愛」には四種類のものがありました。エロス(性愛)、ストルケ(家族愛)、フィリア(友愛)、アガペー(神への・神からの愛)、この四種です。これを「愛」の一語で括るのには無理がありませんか。

『ホントの話』では、中島の本で紹介された3種の愛に加え、「ストルケ」という愛も挙げられている。