『刹那』『落盤』『花とあらくれ』

 
 今日は、2008年に発売された『花とあらくれ ―手塚治虫劇画作品集』(小学館クリエイティブ)を取り上げる。
 本書は、手塚治虫生誕80周年と劇画誕生50周年にちなんで出版された。貸本短編誌に掲載された劇画調の手塚作品を集めた一冊だ。
 劇画は、手塚先生がその誕生を用意したジャンルであるうえ、手塚先生を追い込み悩ませたものでもある。手塚先生の劇画に対する思いは、とんでもなく複雑なものであったはずだ。
 昭和30年代、劇画作品の主たる発表媒体は貸本単行本・貸本短編誌であり、その媒体に載った手塚作品をまとめたのが『花とあらくれ ―手塚治虫劇画作品集』である。



●『刹那』(「X」第1号、1959年6月25日、鈴木出版)
 ピストルを突きつけられたロック。彼の運転する車が、崖っぷちのカーブした道路を猛スピードで疾走するシーンから物語は始まる。事情はわからないが危険な状態だ。いったい何が起こっているんだろう?と思ううちに、その車は事故を起こす…。
 その後、いろいろな謎がしだいに明かされていくのだが、その展開にサスペンスの魅力を感じる。


 ロックはタクシー運転手だった。なのに事故の精神的後遺症からハンドルを握れなくなる。ロックの手がハンドルを拒絶する、その描写が目を引く。彼の5本の指が、それぞれ顔×1、腕×2、脚×2のような形状になって、ハンドルから逃走するのだ。“劇画”というよりコミカルな漫画のような表現だが、私はそれをギャグっぽいと感じず、むしろロックの運転に対する拒絶反応の強さが印象づけられた。
 ロックの運転する車が崖っぷちのカーブを猛スピードで走るシーンが再現されるところがあって、冒頭シーンを読んだときのスリルがフラッシュバックしたような気分になった。



●『落盤』(「X」第3号、1959年9月15日、鈴木出版)
 登場人物は、主人公の少年と、前橋なる鉱山長の2人だけ。作品の舞台は、ほとんど炭鉱の竪穴の中のみ…。ストーリーは、2人のやりとりと前橋の記憶に基づいた回想シーンだけで進んでいく。異色の密室劇だ。
 前橋の記憶は、語られるたびにズレが生じる。少年はそのズレを鋭く指摘し、逃れようのない真相を前橋に突きつける。その緊張感みなぎるサスペンスフルな展開に私は引き込まれた。
 絵のタッチに実験的な試みが見られるのもポイントだ。基本的に手塚先生の少年マンガのタッチで描かれているのだが、回想シーンになると、簡略化されたギャグタッチや、陰影の濃い劇画タッチが用いられ、タッチが意識的に不統一になっている。その不統一加減が独特のムードを生んで不安を掻き立てる。



●『花とあらくれ』(「X」第5号、1959年12月15日、鈴木出版)
「花」と「あらくれ」という、イメージが対照的なミスマッチの言葉を並べたタイトルが印象的だ。そして、なぜ「花」と「あらくれ」なのか、それわかったとき心に感銘が生まれる。
 北の果ての荒れ地に建つ小屋には、前科持ちの粗暴な男たちが大勢詰め込まれるように住んでいた。彼らは、漁師の船が出るとそこに乗って漁をすることで生計を立てていた。
 土地も人心も荒涼としている。殺伐としている。暴力のにおいが立ち込めている。そんな場所に主人公の青年・健はやってきた。自らそこを選んで…。
 健は、荒涼たる不毛の土地に花の種を植え、育てようとする。他の男たちから「娘っ子(あまっこ)」とバカにされながら。
 なぜ健はわざわざそんなひどい場所を選んでやってきたのか。なぜ花を育てようとしたのか。その理由に触れた瞬間、私の胸にはジーンとしたものが広がった。
 結末は悲しくもあるが希望的でもあって、心に響く。
 こうした粗暴で泥臭い作品は手塚先生の苦手な領域だと思うが、劇画への対抗意識や“オレは何でも描ける”という自負心に突き動かされて描かれたのだろう。
 いい作品だと思う。



『花とあらくれ ―手塚治虫劇画作品集』には、ほかに『指令!午前7時』『ジェット基地の幽霊』『ハリケーンZ』が収録されているが、今日はここまでとして、後日それらの作品について書きたい。