『アリと巨人』


 本日11月3日は、手塚治虫先生のお誕生日です。
 手塚先生、おめでとうございます!!!


 ということで、この記念すべき日に手塚マンガを何か読み返そうと思い、迷ったすえ『アリと巨人』を選びました。
 
 
 手塚先生がおっしゃるとおり、地味めで暗めの作品ですが、じつに読み応えあのある秀作です。
 幼なじみの戦災孤児2人は深い友情で結ばれていたのですが、運命のいたずらで一人は正義の新聞記者になり、もう一人は暴力団の一員となって殺人まで犯します。大きな力や運命に翻弄される2人の関係を軸に、戦中から戦後かけての年代記のように物語が進展します。
 作中で下山事件浅沼稲次郎暗殺事件を思わせる事件が起こったりもして、社会派ミステリーのような要素も感じられます。そして、多くの手塚マンガがそうであるように、戦争や自然破壊、兵器産業に対する批判的なまなざしも読み取れます。


 手塚先生は、手塚治虫漫画全集『アリと巨人』(1979年、講談社)のあとがきでこう書いています。

「アリと巨人」は、学習研究社学年誌に、「フィルムは生きている」のあとで連載されたものです。
 この作品にしろ、「フィルムは生きている」にしろ、学研さんは、好きなものを、好きなように書かせてくれるので好きです。

 手塚先生は『アリと巨人』を自由な裁量で描けたこともあって気に入っておられたようです。『アリと巨人』と並んでタイトルのあげられた『フィルムは生きている』については、以前当ブログで紹介したことがあります。
 http://d.hatena.ne.jp/magasaino/20140420


『アリと巨人』には、シンボル的な存在として樹齢500年のクスノキが登場します。『アリと巨人』の“巨人”の視点のひとつを担っている存在です。クスノキから見たら人間はアリのようなものだと…。
 人間から見たときのアリのように、人間は大きな運命や力の前ではちっぽけな存在であり、簡単に翻弄され踏みつぶされてしまう…。そこから脱しようと、アリから巨人になろうとあがく人物が登場します。その立場とは反対に、大群でゾウをやっつけてしまうアリだっているし、アリでも巨人を倒すことができるのだ、という可能性も示されます。
 そういう“アリと巨人”を対比する視点を象徴的に担っているのがクスノキなのです。クスノキは、人間が行うあれこれに干渉せず、ひたすら黙って俯瞰的に見守るばかりです。人間に干渉することなく沈黙を守る神さまのように…。


 前掲の手塚治虫漫画全集『アリと巨人』のあとがきから、再び手塚先生の言葉を引用しましょう。

「アリと巨人」は、はじめの構想では、もっとファンタスティックだったのです。毎回クスノキと動物たちとの対話がありますが、ああいうふんいきをもっとひろげるつもりだったのです。漫画の主人公たちが、かき手の構想をはなれて、勝手に行動してしまって、収拾がつかなくなる、ということをよく仲間がかいていますが、「アリと巨人」のマサやんとムギやん、ことに後者はそうです。

 この発言内で、クスノキと動物たちの対話について触れられています。この対話場面で、クスノキから見たら人間はアリのようだ、という視点が明言されますし、また、戦争や自然破壊、兵器製造など人間の愚かしい行いに対する風刺のような言葉も出てきます。はじめの構想ほどにはこの対話場面は広がりを持たなかったようですが、それでも、限られた場面のなかで手塚先生の視点やメッセージがよく伝わってくるのです。

 クスノキといえば、宝塚の旧手塚邸の庭にそびえている木でもあります。おそらく、手塚先生は『アリと巨人』を描くとき、この手塚邸のクスノキへ思いをはせておられたのではないかと思います。
 
 ・写真は、数年前に宝塚へ行ったときのものです。


 暗くなりがちな物語にコメディーリリーフとして投入されたサボテン君も、いい味を出しています。そのとぼけた味わいが緩和剤の役割を十分にはたしているのです。ラストで明かされる彼の正体も見どころでしょう。
 手塚先生ご自身も昆虫マニアとして登場します。サボテン君と同様、コメディリリーフの役割です。この昆虫マニア・手塚治虫が蝶道の話をします。彼のセリフを借りれば、蝶道とは「蝶ってやつはね おもしろい性質があって アゲハ蝶なんか飛ぶコースが決まってるんです」とのこと。
 もちろん、現実の手塚先生も昆虫マニアでした。蝶道の話題は、ほかの手塚作品でも見られます。たとえば『ZEPHYRUS』とか『インセクター ‐蝶道は死のにおい』とか。


『アリと巨人』は「マサやん」「ムギやん」という2人の戦災孤児が主人公ですが、戦災孤児が印象深く描かれた手塚マンガというと、私はほかに『四谷快談』や『1985への出発』といった短編作品を思い出します。『四谷快談』は、空襲の被害で失明のおそれのある戦災孤児のところにお岩さんがやってくる話。『1985への出発』では、3人の戦災孤児が敗戦直後の1946年から1985年にタイムスリップし、そこで未来の自分たちと遭遇します。
 ※『ZEPHYRUS』と『1985への出発』は当ブログでとりあげています。
 http://d.hatena.ne.jp/magasaino/20140524