手塚先生が語ったお盆の思い出

 地方や集落や家庭などによって差があるでしょうが、今日(8/16)が盆明け(送り日)ですね。


 手塚治虫先生は、お盆の思い出としてこんなことを書かれていました。
 家にオニヤンマや大きな蛾が飛び込んできて捕まえようとすると、お母さんから「だめよ、その虫にはご先祖様がのっているんだから、そっとしといてやりなさい」といつも止められた、と。
 お盆は、このときだけ家に帰ってきてくださるご先祖様をお迎えする日です。手塚家では、お盆の時期に家のなかに入ってくる生き物はすべてご先祖様の魂の乗り物である、という意識だったのでしょう。


 当時の手塚家では、迎え火の時間になると玄関から襖から開けっぱなしにして、手塚先生のお父さんを先頭に門へ出て行き、誰もいない黄昏の空へ向かって「いらっしゃいませ」とお辞儀をしていたのだそうです。
 『鉄腕アトム』の「ロボット流しの巻」は、そんな手塚先生のお盆の思い出から発想された物語です。
 
 ・「ロボット流しの巻」を収録する手塚治虫漫画全集鉄腕アトム』8巻(講談社


 アトムの時代のお盆は「思い出の日」と呼ばれ、亡くなった人物そっくりに造られたロボットがその人物の家族を訪問する…という行事がおこなわれます。訪問して3日たつと、そのロボットは名残を惜しまれつつ川に流されます。それが「ロボット流し」という儀式です。精霊流しの変奏ですね。


(ここまでの話題は、講談社手塚治虫漫画全集別巻『手塚治虫エッセイ集』6巻に収録された「お盆の思い出」(『お盆だから、またあえるね』創造集団ぱんだか、1986年発行)を参考に書きました)


 さて、手塚先生とお盆といえば、科学雑誌「自然」1963年6月号に手塚先生が寄稿されたエッセイ「クマゼミ東海道線」も思い出します。
 
 手塚先生はそこで「毎年夏に東海道線を下るとき、興味をもって戸外の蝉の声に耳を傾ける」と書いています。クマゼミがどのあたりから鳴きだすか興味があったのだとか。当時は東海道新幹線の開業前ですから、手塚先生は東海道線を走る特急列車に乗って東京から関西へ移動されたのでしょう。そもそも新幹線だと「戸外の蝉の声に耳を傾ける」なんて無理でしょうし(笑) 
 ともあれ、夏の帰省時、手塚先生は列車内でそんなことをされていたのですね♪ 


 現在は分布が変化していますが、当時クマゼミは関西にたいへん多く、関東ではきわめて稀少でした。ですから手塚先生は、上京して一番物足りないのは木立にクマゼミの姿がないことだ、とすらおっしゃっています。「彼の声は箱根を越えて東には、もう絶対といっていいほど聞けないのだ」と。
 近年は、クマゼミの生息域は関東北部まで広がっているようですから、現在なら手塚先生も箱根の東側でクマゼミの声をちゃんと聞き取って、エッセイに書くほど強く物足りない気持ちになることはなかったかもしれません(^^)