「SWITCH」の特集「手塚治虫[冒険王]」


 10月20日発売の「SWITCH」11月号で、手塚治虫生誕90周年記念特集「手塚治虫[冒険王]」が組まれています。
 
 黒田征太郎さんが9歳のとき『新寶島』に出会い、その冒頭一コマの細部からいろいろな発見をした…という話が興味深いです。トキワ荘グループの先生がたをはじめ当時の多くの読者がこの冒頭シーンに心をつかまれ鮮烈な衝撃を受けたわけですが、そういった感覚・感情を生じさせた具体的な理由の一端に触れられた気がします。今となってはあまりにも当たり前の表現が当時の読者にとっていかに新しく衝撃的でワクワク感あふれ発見に満ちたものだったのかが伝わってくるのです。


 手塚眞さんが、手塚治虫の影響を受けたと言う人がうらやましい、と語っているくだりも印象的でした。「影響」というのは他者から受けるものであって、眞さんが手塚先生から受けたのは「影響」ではなく「血」である、といったお話です。その「血」に抗えない恐ろしさを痛感した体験にも言及されています。


 この特集内で『アトムの最後』が再録されています。この作品は先月28日に発売されたムック本「手塚治虫のさらに奇妙な話」にも再録されたばかりです。私も当ブログで長々と感想を綴ったところです。いま『アトムの最後』が来てるのかしら!?
 もう一作、再録があって、それは『新宝島』の冒頭シーンです。黒田さんのお話にも出てきたように、鮮烈な衝撃を読者に与えたシーンです。誌面の言葉を借りれば「初期の代表作として知られ、様々ないきさつを経て伝説となった作品の冒頭シーンを再現」との理由で『新宝島』の冒頭シーンが再録されているわけですが、その言葉を額面通り受け取れば、オリジナル版が載っているんだ、と思いますよね。でも実際はリメイク版のほうが掲載されているのです。どちらも『新宝島』ですから、間違っている、とは言いませんが、どうしてなんだろう…とは思いました。


 『鉄腕アトム』の主題歌を作詞した谷川俊太郎さんがアトムを題材にして作った詩「百三歳になったアトム」が、下田昌克さんのアトムやヒョウタンツギの立体アート作品とともに掲載されているのも、芸術の秋っぽさを感じられて素敵です。
 あと、「手塚治虫の本棚」のページでは、新座スタジオの仕事部屋にある書棚の一部が写真で掲載されています。どんな本が並んでいるのか(一部抜粋ながら)リスト化されているのがいいです。

『アトムの最後』を読む

 先月28日に発売されたムック本「手塚治虫のさらに奇妙な話」は表紙を飾る『アトムの最後』(初出:別冊少年マガジン1970年7月号)のカラー絵に誘われて購入したのですが、この『アトムの最後』、何度読んでもそのディストピア状況や救いのなさが重くのしかかります。絶望的事態が2重3重にも畳みかけられる終盤のやりきれなさたるや…。
 
 映画『猿の惑星』では猿と人間が逆転していましたが、『アトムの最後』はロボットが人間を家畜のように扱っている近未来が舞台です。家畜といっても飼い主がロボットですから食糧用とか農耕用の家畜ではないんですよねえ…。他の残酷な運命が待ち受けているのです。(ただ、家畜である人間のための食糧は必要なので、牛や豚など食糧用の家畜は別にいるのかもしれません。作中では描かれていませんが)
 優しく善良そうな夫婦が、子どものやった命にかかわる行為に対し「たかが子どもの遊び…」と軽くとらえるあたりからちらほらと違和感が漂ってきて、その違和感があんな衝撃的な真相につながるとは…。


 『アトムの最後』には、まさに“アトムの最期”となる場面があるわけですが、あの人気者のアトムの最期が空しさをともなうほどあっさりと描かれていて、初めて読んだときはそのあっさり加減が非常にショックでした。そもそも、アトムが博物館で展示されるだけの過去の遺物化している物語序盤の状況だって、かなりショッキングなのです。


 アトムはこの物語の中では脇役をつとめていて(まあ、アトムが脇役でもそれはそれでよいのですが…)、そんな補助的な扱いのうえ、なんともあっさりと拍子抜けするような感じで最期を遂げてしまう…。実際の死とは劇的でも英雄的でも何でもなくそういうものだといえばそうなのですが、アトムのそれまでの活躍、人気、功績などを思うと、なんのためにアトムがこの作品に登場したのか、なんでアトムがこんな目に合わねばならないのか、とアトムに思い入れがあればあるほど理不尽な思いや悲痛な感情がわいてきます。


 博物館で永遠の眠りについていたのに強引に目覚めさせられたアトムがロボットと人間どちらの味方になるか選択を迫られたとき、人間の味方をしてくれました。それは、私も人間なので単純に嬉しかったのですが、アトムがそういう選択をしたのは「人類の味方をしよう!」という大きな目的のためというより、目の前にいる2人の変わらぬ愛を信じたからなんだろうなあ、と思ったりします。なのに、アトムが信じたその愛も空しいくらいはかないものでした…。


 自分が人間であるためか主人公の青年・丈夫に感情移入してこの話を読みがちなのですが、彼は平和で安定したロボット社会から見たらテロリストみたいなものなんですよねえ。それに、アトムの善意・援助・犠牲を一挙に無駄にするようなことをしやがって!という腹立たしい気持ちにもさせられます。ただ、作中で彼に突きつけられる諸々の真実は彼にとってあまりに酷だなあ…。


 人間が母親の胎内じゃなく人工授精によって筒状容器の中で産まれる(人間が工場のような施設で生産される)というところは、『アトムの最後』より少し前に手塚先生が描いていた『人間ども集まれ!』(週刊漫画サンデー1967年1月25日〜1968年7月24日)の基底をなすアイデアでもありますね。オルダス・ハクスリーディストピア小説すばらしい新世界』(1932年発表)から着想を得たのでしょうか。この小説でも人間は壜の中で産まれているのです。そこは人間が工場で大量生産される世界。特殊な技術の開発によってひとつの受精卵から最高96人、平均72人の人間ができるし、ひとつの卵巣から最高16012人、平均して11000人ほどの人間を生み出せるというのです…。


 『アトムの最後』の作中で人間がロボットに支配されるまで衰退していったのは、元はといえば人間の自業自得なわけです。これは手塚先生が人類の文明に鳴らした警笛(人間とロボットとの関係に限らずもっと普遍的な警笛)として今も響きます。


 物語内容には暗澹たるものがあり、とくにアトムの扱いを思うと非常につらい『アトムの最後』ですが、作品としては優れた近未来ディストピアSFであり、風刺性も高く、伏線が見事に回収されたり、意外な真相、驚きの展開に満ちた構成で、さすがは手塚先生!と唸らされる一編です。
 手塚先生は、『アトムの最後』を描いた時代は急進的な学生運動が流行っていて、漫画や劇画の内容も暗くてニヒルなものが多く、それらに影響を受けた…といったことを述べておられました。たしかに『アトムの最後』からは相当なニヒリズムを感じます。

「まんだらけZENBU」に手塚治虫小学生時代の直筆原稿が


 今月10日ごろから全国発売されている「まんだらけZENBU」89号は、表紙にあるとおり藤子不二雄特集です。
 
 そして、この表紙には手塚的に気にならざるをえない文言も!
 「発見!重文級 手塚治虫 小学生の時の直筆漫画原稿」とあるではないですか!!


 じっさい、表紙をめくると手塚先生が小学生のころ描いたと考えられる『ママー』の直筆原稿が大々的に紹介されています。続いて、手塚先生の直筆書簡、直筆ハガキ、直筆色紙とものすごいお宝が目に飛びんできます。私などははなっからオークションに参加する力が(経済力も気力も)ありませんが、カラーでこうしたお宝を眺められるだけでじゅうぶんに眼福です。

「テヅコミ」創刊!

 
 「テヅコミ」創刊号(10/5発売)と「手塚治虫のさらに奇妙な話」(9/28発売)を購入しました。

 
 
 「テヅコミ」は、手塚先生をリスペクトする漫画家さんによるトリビュート作品が満載。ほかにも手塚先生に関する記事や情報がいろいろあって量感たっぷりの一冊です。まだちゃんと読めていませんが、今号の特集「はじめての手塚治虫」が興味深いです。各界の人物から「手塚作品を読んだことのない人に最初に薦める作品は?」というアンケートを集め、その結果を発表しています。そして、アンケートの上位3作品については1話分を再録しています。
 手塚るみ子さんが「会いたい人にアポを取り、話を聞く」という連載企画「ラララのお茶の間」も毎号楽しみになりそうです。「テヅコミ」は全部で18号まで出る模様。


 
 「手塚治虫のさらに奇妙な話」は、今年3月に出た主婦の友ヒットシリーズ「手塚治虫の奇妙な話」に続くムック本。基本的にコンビニで販売されています。収録作品は読んだことのある作品ばかりですが、「別冊少年マガジン」1970年7月号初出の『アトムの最後』カラー口絵が表紙を飾っていて、そこに心を誘われて買ってしまいました(笑)コンビニを6店めぐってようやく買えました。


 「テヅコミ」も「手塚治虫のさらに奇妙な話」も、手塚マンガの再録をB5サイズの新品の本で読めるので、それも嬉しいところです♪

月の文明を描いた手塚マンガ

 昨晩(9/24)は十五夜中秋の名月でした。
 
 
 
 月にウサギがいる、という言い伝えがあります。月に映る影がウサギのシルエットに見えることから発した言い伝えでしょう。
 では、なぜ月にウサギがいるのか?その由来を語る説話があります。インドの仏教説話集「ジャータカ」のなかの一編です。その説話は、ウサギが自ら身体を焼いて飢えた老人の食物になろうとする内容で、手塚先生は『ブッダ』の冒頭あたりでその説話を描写しています。
 
 また、手塚先生の初期作『新編 月世界紳士』では、月にウサギがいるという言い伝えがなぜ発生したか?が説明されます。月のウサギの伝説が地球にあるのは、800年前にウサギ似の月世界人が地球に来ていてそれを地球人が見ていたからだ…と説かれるのです。
 

 月に人間が住んでいて高度な文明を築いている…という設定の手塚マンガといえば、『月世界紳士』のほかに『ノーマン』が思いあたります。5億年前、月では月世界人が暮らし文明が栄えていたが、他の星から来た侵略者(ゲルダン星人)との戦争に敗れ、あげくのはてに核爆発で月世界が全滅してしまった…というのです。いま地球から月を望遠鏡で覗くと、見渡すかぎりひび割れと穴と石ころだらけなのは、その戦争と核爆発が原因だったのです…。(月世界が全滅…と書きましたが、そうではないかもしれないという希望をかすかに残しながら『ノーマン』の物語は幕を閉じます)
 
 

 月を舞台にした手塚マンガということでは、『ザ・クレーター』の一編「クレーターの男」もとても衝撃的で印象深いです。月に月世界人が住んで高度な文明を築き…といった趣向のお話ではありませんが、『火の鳥』のコスモゾーンにも通ずる生命エネルギーが題材になっており、手塚先生の生命観が強く表れています。何より、ラストシーンの究極的な虚無感と孤独感がすごい。完璧な絶望状況なのに、美しい情感のようなものすら伝わってくるのもすばらしいです。
 
 

 手塚先生には、「今年も十五夜が近づいてきた」という文で始まるエッセイ『月をめぐる幻想』(「アサヒグラフ」1969年8月15日号)があります。そのエッセイのなかで「ぼくなどは月のあの明暗模様を眺めても、どうもクレーターの群れのイメージがちらついて、古来伝承の兎や月美人の姿を思いおこせない。二十世紀に生まれた人間の宿命であろうか…」と書いています。
 私も(手塚先生と一緒にするのは非常におこがましいのですが)子どものころはもっとくっきり見えていたはずの餅つきウサギが、今はなんだか見えなくなった気がします。そもそもそういうことを日常の中で意識しなくなった…と言ったほうが正確かもしれません。空に浮かぶあの月にウサギの姿を見たい、と日ごろから意識して願っていればまた見られるようになるでしょうか。

特集「やはり手塚治虫だ」

 
 UCカード会員誌「てんとう虫」10月号が手塚先生の特集を組んでいます。特集タイトルは「やはり手塚治虫だ」。
 竹内オサムさん、中野晴行さんといった手塚研究の第一人者の寄稿をはじめ、“プロフェッショナルはかく語りき”として宇宙飛行士、心臓外科医、宗教学者などの文章も載っています。松本零士先生、手塚プロ松谷社長も登場!
 (私は入手していませんが、セゾンカード会員誌「express」も同一内容の特集を組んでいるようです)

手塚治虫記念館内の風景

 今月9日に手塚治虫記念館を訪問したのは当ブログでレポートしたとおりですが、前のレポでは企画展関連スポットと駅から記念館までの道程を中心に記したので、今回は記念館内で普段から見られる風景に着目してみます。
 
 手塚治虫記念館の入口へ向かいます。 


 
 
 
 
 
 建物内に入ったすぐのところは「リボンの騎士 王宮風エントランスホール」!きらびやかなムードです。


 
 
 エントランスの天井には手塚キャラが集合した「キャラクターステンドグラス」が見えます。床は、ほほえむ手塚先生の「モザイクタイル自画像」。先生のお顔とあって、ここを通るのにちょっと抵抗が(笑)

 
 
 これもエントランスの風景。「火の鳥メッセンジャー」です。


 
 
 エントランスではアトムもわれわれを歓迎してくれます。


 
 「手塚治虫グッズ展示コーナー」。


 
 手塚先生のお写真やメッセージを拝見して常設展示室へ。

 
 
 
 ここが常設展示室。展示カプセルのデザインは『火の鳥 未来編』の生命維持装置をモチーフにしています。カプセルごとにテーマが設定され、手塚先生の生い立ちや創作に関する資料をたくさん見られます。

 
 
 
 
 常設展示室からトイレへ向かう通路の壁には『ジャングル大帝』の世界が描かれています。
 このほか1階には「メッセンジャー機」や「アトムビジョン映像ホール」などがあります。
 

 
 
 エレベーターで地階へ。


 
 
 ジオラマ手塚治虫昆虫日記の宝塚」。昆虫を追いかけて野山をかけまわる手塚少年の姿が目に浮かんできそうです。


 
 
 「チンクの休憩ベンチ」で一休み。


 
 
 この奥に「アニメ工房」があります。

 
 
 「手塚治虫仕事部屋再現」。


 
 
 手塚先生の妻・悦子さん作「夢・翔」。


 
 2階には「企画展示室」「ミュージアムショップ」「ライブラリー」「情報・アニメ検索機」「単行本展示棚」「ジャングルカフェ」などがあります。私が行ったときは「ライブラリー」にも「情報・アニメ検索機」にも「ジャングルカフェ」にもお客さんがたくさん座っていたので写真撮影は控えました。なので2階の写真はほとんど無くてすみません。