『鉄腕アトム』「フランケンシュタインの巻」

「少年」1952年11月号〜53年4月号連載。
 サブタイトルがストレートに伝えるように、小説、映画、マンガなどさまざまな媒体で何度も作品化されてきた“フランケンシュタイン”モノのひとつである。
 そしてこの話は、『鉄腕アトム』において“人間とロボットのあいだで引き裂かれるアトム”というテーマが全面的に描かれた、最初のものとなるだろう。


 未完成のまま暴れ出したフランケンシュタイン、ロボットが人間に対して起こした反乱……。そうした出来事の表層を見ていると、ロボットがひどく悪い存在に思えるが、どれもこれも真相を知れば人間の責任であることがわかる。人間がロボットを差別したから、人間が怠慢だから、人間がロボットをずるく利用するから、ロボットは暴力的な行動を取らざるをえなかったのだ。ロボットが行なう悪は、人間が持つ悪を写す鏡なのである。
 学校の教師であるヒゲオヤジが、リンカーン時代のアメリカについて教室で話をする場面がある。「その頃米国では白人は黒人を奴隷あつかいしとった」「リンカーンは黒人も白人もおなじ人間だといった」という内容だ。これは、ロボットを奴隷扱いする人間がいるけれどロボットも人間も平等である、というメッセージである。ここで述べられたアメリカの白人と黒人の関係は、『鉄腕アトム』の作中における人間とロボットの関係のアナロジーだ。


 この作品、ラストシーンがまことに印象的である。ロボットをバカにし、アトムのパパに屈辱的な行為をさせた不良少年・四部垣が、頭を垂れ、肩を落とし、背中を丸め、涙をこぼしながら「ぼくがわるかった……ごめんよ」とアトムに謝罪している。アトムは別の方向へ走っており、四部垣の謝罪はアトムに聞こえていない。だからこそ、これは表向きの謝罪ではなく、心から絞り出された痛切な謝罪だということが伝わってくる。人間は愚かしい動物だが反省できる動物でもある……。そのことがここで暗示されているようだ。



 細かいカットだが、ある場面で水道橋駅のプラットホームが見られる。そこに掲げられた行き先の案内表示に「東京・上野・香港・シンガポール・南極方面」と記されている。水道橋駅から電車に乗れば、外国にも通じているのだ。それは本当にちょっとした描写なのだが、こういうところから、この話の舞台が未来世界であることを実感でき、「未来の世界はこんなふうに発展しているんだ」と夢を感じられる。